「ヒイロ」
呼ばれて顔を向けると、そこにはカトルが心配そうな顔で立っていた。
「何だ」
ヒイロは通路の窓枠に片足を引っかけて腰掛けたまま、素っ気なく訊く。
本来ならば、亡国とはいえ、1国の王であるカトルには敬意を称さねばならないのだが、
ヒイロは気遣う気もなかった。元々、人前でなければリリーナにさえも敬語を使うことは
ないのである。基本的に誰かに傅くことが苦手なのだ。
幸いにも、カトルは親しい態度を好むらしく、逆に微笑んだ。
「夜風は冷たいでしょう? そんな所にいたら風邪をひきますよ」
「平気だ。そんなものはひかない」
ヒイロは再び顔を外に向ける。少しだけ欠けた月が浮かぶ空は、あいかわらず暗い。
デスサイズとデュオが去ってから1週間が過ぎていた。
先日の襲撃で受けた被害も徐々に癒え、次の攻撃に備える準備が行われている日々。
それは穏やかであると同時に緊張感漂う時間でもある。
「確かに貴方がた天使族は、僕たちよりも丈夫な体をお持ちですが、だからといって無理
をしては意味がないでしょう。今は休息をとることが大切ですよ」
カトルはヒイロが人目に付かない所で昼夜修行にあけくれていることを知っていた。正
確にはリリーナやサンドロックたちも知っている。だが、わざわざ隠れるように特訓して
いるヒイロの気持ちを考慮して、誰も口にはしていない。
このブリティスで、ヒイロは最も異端として周囲の目を受けていた。本来天使族は身体
の色素が薄く、金髪や茶髪が多い。ヒイロのような黒髪で肌の色も濃い天使はかなり珍し
い存在なのである。天使の郷であっても目立ったであろうに、天使自体をろくに見たこと
のない地上の者たちにとっては、黒髪の天使、しかも神の剣を手にした者とくれば、注目
を浴びるのは必至であった。好奇と畏怖。遠慮もなくむけられるそれに、居心地が良いわ
けがない。
さらにヒイロ自身が己を叱咤していることも知っていた。それはこの城にいる誰もが同
じだが、プライドの高い彼にとっては大きな苦痛だろう。
だからこそ、何気ない風にこうして気遣うわけだが、ヒイロは拒否し続けている。
「オレに構うな」
冷たい言葉で一瞥するヒイロにカトルは溜め息を吐く。
どうすれば彼は心を開いてくれるのだろうか。
ふと、脳裏によぎったことを口に出してみた。
「…デスサイズとデュオは今何処にいるんでしょうね…」
その言葉にヒイロが大きく反応を返し、驚いた。
「いえ…。彼らの腕は信用できますから心配はないでしょうけど…やはり《仲間》ですし、
気になっちゃって…」
「仲間…」
ヒイロがやっとこちらの話に参加してくれた隙を逃さぬよう、カトルは続ける。
「そうです、ヒイロ。僕たちは同じ志を持つ《仲間》なんです。皆、大切な同胞ですよ」
「………」
それきり、ヒイロは目を伏せ、何も言おうとはしなかった。
(…ああ、そうか…)
カトルは心中で頷いた。彼はデュオのことを気にかけているのだ。ヒイロを天使の姿に
戻したのはデュオだ。おそらくその時に何か言われたのだろう。その言葉の意味を考えて
いるのだ。答えを探して、途方にくれている。
だが、それはヒイロにとって必要なことだろう。
デュオは法術士。世界と物事の真理を知っている。言葉も豊かだ。その彼が何かを伝え
たならば、自分が言うことは無い。
「彼らも戦っています。僕たちがピンチになった時には必ず駆けつけてくれます」
それだけ言って、カトルはその場を後にした。今はこれ以上いらないだろう。実際はカ
トルが思うようなことをデュオが言ったわけではないのだが。
再び気配がなくなった通路で、ヒイロは膝を抱える。
浮かぶのは、長い髪の少年。
何故こんなにも気になるのだろう。
あの瞳。彼は迷っていなかった。自分を信じていた。
脆弱で野蛮で下等な存在だと思っていた、人間。その見識はこの城に来てから覆された。
高等で完成された種であるとされる天使はこんなにも脆い。
奢り、惰性、盲目的思考。
天使こそが愚かな存在なのかもしれない。
人間もMS族も、力がないからこそ、前を向いて立ち向かおうとしている。何もすべき
ことがわからない自分と、なんと違うことか。
力があっても、使えなければ意味がないのだ。
繰り返される自問自答。見えない答え。
誰かに教えて欲しかった。
あの法術士ならわかるのだろうか。知っているような口振りをしていた。
今、無性に逢いたいのかもしれない。
「デュオ…」
初めて、彼の名を呼んだ。不思議な感じがした。
再会は早くも訪れた。
前回の攻撃から十日と経たぬうちに、オズワルドの雷迅機トールギスが攻めてきたので
ある。トールギスはブリティスに来る前にデスサイザーと戦ったらしく、後から駆けつけ
てきたデスサイズとデュオは生身のままだった。
ヴァイエイトとメリクリウスも加わり、オズワルド最強の3機兵の攻撃にカスタム機兵
は次々と倒されていく。
「くっ」
「いけません、ヒイロ!」
思わず表に出ようとしたヒイロを、リリーナが強く止めた。
剣はまだ修復が完了していなかった。そう簡単に神の剣は扱える物ではない。今のヒイ
ロはただの天使族の騎士でしかない。武器はブリティスから支給された剣のみ。むざむざ
殺されに行くようなものだ。
「…だが、これでは…!」
前回もこうして見ているだけだった。鎧闘神になれない以上、守護騎士として巫女姫の
傍で守るのみ。自分の任務はわかっている。しかし、歯がゆさは止まない。
「!」
その時ヒイロの目に映ったのは、黒衣の法術士だった。
生身でありながら、機兵を破壊されて失ったデスサイズと共に立ち向かっている人間。
敵にダメージは与えられないものの、必死で皆のサポートをしている姿を見て、ヒイロ
は突き動かされた。
「ヒイロ!」
リリーナの制止も聞こえない。人間やMSが戦っているのに、天使の自分が見ているだ
けなど、耐えられない。
それまでデスサイズの影で守られながら戦闘補助術を繰り出していたデュオが、トール
ギスの攻撃をかわすために分断された。
そこに衝撃で飛ばされた岩石が襲いかかる。
「ちぃっ」
素早く体制を整えようとしたデュオの前で、岩石が一閃される。
「今頃何しに来やがった」
デュオは目の前にいるヒイロに礼を言うどころか、睨みつけた。先程まで城内で傍観者
になっていた天使が何の用だというのか。
「………」
ヒイロは何も言わない。言えなかった。
答えは見つからないまま。そして無謀なまでの参戦。自分は何をしようとしているのだ
ろう。
「ヒイロ!」
リリーナとは違う呼び声に、城壁を見やると、ジョワンがいた。
「死ぬ覚悟があるなら、これを扱えるじゃろう!」
言葉と共に投げられた物を、手を伸ばして受け取る。修復されたバスターソードだった。
これで…。
「扱えるのかよ、お前に?」
高揚しかけた心に、冷ややかな声がかけられる。
「こっちの損害を増やすだけなら遠慮させてもらうぜ。冗談じゃない」
鎧闘神の力を制御できないのであれば、戦力にはならない。敵味方関係なく被害が増え
るだけ。現状でこれ以上被害を増やせば、それこそユニオン軍の壊滅に繋がる。
ヒイロはデュオの顔をじっと見つめる。逢えば答えが見つかるのだろうかと思った瞳が、
触れられるほど近くにある。青い空の色。今は見れない空。取り戻すためには。
「…オレは、戦う!」
飛び立ってヒイロは剣を掲げた。
戦う。自分にはそれしかないのだ。逃げている暇など何処にもない。
自分にしかバスターソードは使えない。ならば答えは最初から見えていたのだ。
戦うことしか、自分にはないのだ。
力の奔流が巻き起こり、全身を襲う。焼け付くような激痛に歯を食いしばり耐える。
「現れたか。鎧闘神ウイング」
トールギスから笑うような声が響く。操手は鎧闘神と相まみえることを待ち望んでいた
のだろう。攻撃の手を止め、出現を待つ。
空中に渦巻く雷風が止むと、そこには鎧闘神がいた。
「…やっぱり使えねー」
皆が感嘆と驚きの声を上げる中、デュオとリリーナだけは違っていた。
ウイングの瞳は濁っていた。ヒイロはまたもや制御できていない。そのことに気付く二
人には、鎧闘神の登場を喜べるはずもない。
「鎧闘神ウイング! 勝負だ!」
トールギスがウイングに突撃する。激しい戦闘が起こった。
だが、十分としないうちにウイングは地に落ちていた。
闇雲に放たれる攻撃は、いくら脅威でもかわすことは容易い。戦況はまったく好転せず、
逆に鎧闘神でも適わない敵を前に、ユニオンの志気が落ちかけていた。
「たわいもない。スペリオルドラゴンの力はこんなものか。くだらん」
トールギスが放った黒い光を浴び、ウイングが石化していく。
「ウイング!」
リリーナが叫びながら飛び出す。鎧闘神まで失ったら、もう希望すら無くなってしまう。
「愚か者が。砕け散れ!」
石になっていくウイングを徹底的に破壊しようと、トールギスがなおも迫る。その前に
果敢にもリリーナは躍り出た。
「巫女姫!」
周囲に驚愕が走る。誰もが予想外だった。
今更攻撃を止められないトールギスの剣がリリーナに向かう。
刃が振り下ろされたその時、リリーナは誰かに横に突き飛ばされた。
「デスサイズ!」
咄嗟にデスサイズがリリーナを庇ったのである。トールギスは巫女姫を傷付けないよう、
素早く離れた。
「巫女姫を失うわけにはいかない…」
呟くデスサイズは、直撃すら避けたものの、重傷をおっていた。痛々しい姿にリリーナ
の顔が歪む。
「デスサイズ…私のために…」
涙が伝い落ちる。静かに流れた清い雫が黒騎士に吸い込まれ、消えた。
途端、デスサイズから光が沸き上がる。
「何?」
震えるような光は徐々に膨れ上がり、そして一気に弾けた。
リリーナは信じられないような目で見上げた。
そこにいたのは、黒い鎧闘神。…いや、違う。あれは…。
「我が名は、冥闘神デスサイズ」
巨大な死神を模した闘神が名乗る。それは巨大変身したデスサイズであった。
「冥闘神…だと…?」
トールギスが掠れる声で反芻した。
「これが…巫女姫の力なのか…」
ガンダム騎士を闘神に変える、覚醒の力。天使族の巫女姫とはこんなにも大きな力を持っ
ているのか。
「スペリオルドラゴンよ…感謝します」
リリーナは胸の前で両手を組んだ。自分の力でこんな奇跡が起こるわけはない。リリー
ナの涙を利用して神がデスサイズに力を注いだのだ。
誰もが茫然としている最中、風が吹き、リリーナの羽根が数枚飛ぶ。羽根は倒れている
カスタム機兵へ飛び、3つの光が生まれる。
「機闘神ヘビーアームズ」
「魔闘神サンドロック!」
「龍闘神シェンロン!」
ガンダム騎士たちが次々と甦った。
「こんなことが…」
デュオを含むサポーターの少年たちも茫然と立ちすくんでいた。
こうして再び攻勢に転じたユニオン軍はヴァイエイトとメリクリウスを撃破する。
トールギスは2機と合身し、重将ギガ・トールギスとなって対抗。その圧倒的なパワー
の前に四闘神は再び窮地に立たされ、石化したウイングは超灼熱閃によって溶かされてし
まいそうになる。解けかけたウイングの中にリリーナは飛び込んだ。
巫女姫の祈りによって鎧闘神は、真・鎧闘神として復活する。
それはもはや暴走する破壊者ではなく、ヒイロが完全に鎧闘神の力を我が物としていた。
バロックガンの力でブリティスごと葬り去ろうとしたギガ・トールギスを、鎧闘神ウイ
ングと四闘神は協力して完全に撃破。
ユニオン軍は勝利し、オズワルドの騎士たちは逃げ去った。
ブリティスに、静けさが戻った。