親父が死んだ。
早朝、母から電話があった。「今朝、眠るように逝ったよ。」私は、「えっ。」としか言えなかった。いつかはとは思っていたが、このように急に連絡が来るとは思ってもいなかった。
私の名前は、山本耕一六十歳。地元の高校を卒業し、あこがれの東京で大学生活を送り、都内のA市役所に勤めている。妻の礼子は大学時代の友人で関東地方の農家の一人娘。私には弟がいるが、九州の大学を出てそのまま長崎県の会社に就職している。私は定年までにあと数年あり、礼子の実家の両親も年老いているため、定年後も再就職して引き続きこの地に留まるつもりでいる。
その日はとりあえず出勤し仕事の調整をして、最終の新幹線で礼子とともに実家へ向かった。
私は、四十数年東京暮らしで、実家へ帰るのは年に一度あるかないかだ。新幹線の中で葬儀のこと、残された母のこと、いろいろと頭の中では巡ってくるけれど、自分の身近なところでこういう事態にふれたことがなかったため、どうしてよいのかその方法が見つからなかった。
夜遅く実家に着いた。待っていたのは従兄弟の山本優だった。本家の長男だ。
父は山本家の次男で会社勤めをしていた。六十年前に結婚を機に分家した。定年退職後は細々と農業をして、米や野菜など私たち兄弟に送ってくれた。先祖の供養などはほとんど本家まかせで、お寺との付き合いなどはあまりせず、まして自分の終活など全く無頓着な人でした。
「すまんな、優。」とかるく挨拶をした。優は、「おまえも忙しいだろうし、何も分からないだろうから、とりあえず段取りをしておいたから。葬儀の日時は喪主のおまえが決めろ。」と。優は、地元で先祖代々の墓を守っている。父親は既に亡くなっており、葬儀のやり方も経験があった。私が家に着いた時には、既に葬儀場やお寺との協議も終わっていた。
「優。喪主の俺は何をすれば。」と聞くと、優は「うろたえず、平常心。故人が生前お世話になった方への感謝かな。後は何とかなるさ。」と。「斎場から帰ってから、思い出や悲しみなど出てきて、寂しさが高まるから、そこからが大変よ。」と、さらりと言った。
優の言うとおり、葬儀はスムーズに終わった。斎場から帰り、祭壇に位牌、遺骨、遺影を置いた。親戚も帰り家は急に静かになった。最後に本家の優と母、弟夫婦、妻の礼子、私の六人が残った。
優が言った「耕一、おまえいつ帰る。」「明日帰ろうと思っている。市役所は来週から十二月定例議会が始まるので、忙しい時なんだ。礼子はもう少し残る予定だよ。」「四十九日の納骨、墓の準備、仏壇もいるぞ。それからお母さんはこれから独居老人だぞ。どうする。」
そんな急に言われてもと思ったが「分かっているよ。」と、返事をした。
優が帰った後、父が使っていた部屋に入った。自分を見つめていた遺影を目に浮かべながら、先日まで使っていた机に手を置き、椅子に腰掛けた。初めて父が本当にいなくなったのだと思った。引き出しを開けた。丸めた一枚の印刷物があった。お世話になったお寺発行の新聞だった。そこに書かれていた『永 代 供 養』の4文字が目に止まった。
すぐ優に電話した。「お寺で永代供養をしているのか。」「うん、やってるよ。」
つづく
(この物語はフィクションです。)
お経(呪文)シリーズ⑬
陀羅尼品第二十六 その7
(九月号からのつづき 現代語訳は直訳です。)
羅刹女(らせつにょ)の陀羅尼呪
羅刹女とは女の鬼神のことで、十人の鬼神がいます。十羅刹女(じゅう・らせつにょ)といい、その母が鬼子母神(きしもじん)です。
それぞれが色々な「恐ろしさ」を持つ鬼神ですが、法華経行者を守護すると誓いを立てています。

若しも私の呪に従わず、教えを説く者を悩ませ心を乱すなら、頭は破れ七つに分かれ、阿梨樹の枝のようになるだろう。父母を殺した罪のように、また油を搾る者が犯す、秤で人を欺き誑かす、提婆達多のお釈迦様を倒そうとする罪のように、この法師を犯す者は、まさにこのような罰を受けるであろう。

諸々の羅刹女は、これらのの詩(偈)を説き終わって、仏に申し上げた。世尊、我らもまたまさに自らこの経を受持し讀誦し修行する者を擁護します。安らかで穏やかにいられるように、諸々の衰えや患いから離れ、人々の中にある心の迷いや苦しみを消し去るでしょう。

仏は諸々の羅刹女に告げた。よきかなよきかな
おまえたちは、ただ法華経の名を受持する者を。擁護することだけでも、その福徳は量り知れないであろう。

さらに、教えを完全に受持し、経巻に華香、瓔珞、抹香、塗香、焼香、幡葢、伎楽を供養し、種々の燈、蘇燈、油燈、諸々の香油燈、蘇摩那華油燈、瞻蔔華油燈、婆師迦華油燈、優鉢羅華油燈を燃やし、このような百千種のもので供養する者を擁護する。

皐諦(羅刹女の一人)よ。おまえたちと親族の者は当然このような法師(仏道の指導者)を擁護すべきである。
この陀羅尼品を説くとき、六万八千人の人が無生法忍(あらゆるものが不生不滅であるという真理)を体得するであろう。
お経シリーズ おわり