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正妙寺は、岡山県赤磐市にある日蓮宗不受不施派のお寺です。

TEL.086-995-0575

〒709-0736 岡山県赤磐市稗田248-1

★★★★★ 今月の正妙寺だより

秋のお彼岸 

彼岸は「かのきし」対岸という意味です。
彼の岸があれば此の岸 があるし、間に海があるはずです。彼の岸とは理想の浄土、美しい土地のことで、此の岸とは苦難に満ちたつまらない土地であるとしています。
 人間同士は欲が深いものですから争うことが多いので、争って暮らしている世の中(此の岸)から信心をして、つまらぬ欲を出さないようにして、苦しみの海を渡ることで覚りが開け、楽しい平和な彼の岸にたどり着くことができるのです。
 平常の信心にさらにいっそうの磨きをかけるために、お寺参りをしたり、先祖や縁故ある人々のお墓参りをして、にぶりがちの信心を奮い起こしましょう。
 秋分の日を中心に前後三日を合わせた七日間を「秋の彼岸会」と言います。最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「結願日」といいます。
 「彼岸の入り」までには、仏壇と墓所の清掃を済ませ、生前故人が好んで食べていた物や花などを飾ってあげるとよいでしょう。

シリーズお経⑩ 

如来寿量品第十六(自我偈=じがげ)

「自我得佛来(真読)」の漢文に返り点(✔)を打って和文にしたものが「我佛を得てよりこのかた(訓読)」です。信徒の皆様には、日常における馴染みの深いお経であると思います。
 前号につづき、「自我偈」について解釈します。

自我偈真読

     

自我偈訓読

   

  私(釈尊)が多くの人々を見れば、苦しみの海に沈んでもがいている。それ故に人々の為に姿を現さず、それによって渇仰の心(深い信仰心)を生じさせるのです。仏を恋い慕う心が生まれることに因って、私は姿を現して人々に法を説くのです。
 私の神通力はこのようなものです。阿僧祇劫(非常に長い間)において、常に霊鷲山やその他の諸々の場所にいるのです。

 


 人々が「劫(一つの時代)が終わり、万物が大火に焼かれる」と見るときも、私のいるこの国土は安穏であり、常に天人(天上界と人間界の大衆)で満ちあふれているのです。
 花園や林がある堂閣があり、種々の宝で飾られ、宝の樹には多くの花が咲き実がなっており、人々が遊び楽しむ所となっているのです。
 諸の天人は天の鼓を打ち鳴らし、常に妙な楽器を奏でており、雨のように曼荼羅華(マンダラケ=天上に咲くという芳香を放つ白い花)の花びらを降らして、仏やその他の大衆の上に散じているのです。     つづく。
 

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