「自我得佛来(真読)」の漢文に返り点(✔)を打って和文にしたものが「我佛を得てよりこのかた(訓読)」です。
信徒の皆様には、日常における馴染みの深いお経であると思います。
今回は、この「自我偈」について解釈します。
私(釈迦)が仏になって以来、経過した年数はとてつもない量りしれない長い年月であります。 その間、ずっと真実の教えを説き、数えることも出来ないほどの大勢の人々を教化し、仏道に導いてきました。 その年月も量ることのできないほど長いものでした。 人々を救う為に、方便として涅槃(死)したように見せかけ、実際は死んでいないのに、私は常にここにいて法を説いているのです。 私は常にここにいて、諸々の神通力をもって心の迷いを持っている人々(顚倒の衆生)には姿を見せないようにしています。
人々は私が死んだのを見て、私の舎利(遺骨)を供養し、皆が私を恋慕する思いを懐き、喉が渇いてとてつもなく心苦しいくらい信仰心が生じてくるのです。
人々が信仰心を起こし、心が純真で素直に、一心に仏に会いたいと思い、そのためには命も惜しまないように。
その時に私は弟子たちと、霊鷲山に姿を現します。そして私は人々に語ります。
私は常にここにいて不滅です。教化の手段として方便力をもって死んだように見せかけたのです。他の国土の人々も、私を信じ願う者があるならば、私はその所へ現れて、彼らの為に最高の教えを説くであろう。
汝らはこれを聞かず、ただ一途に私が死んだものと思っているのです。
つづく