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正妙寺は、岡山県赤磐市にある日蓮宗不受不施派のお寺です。

TEL.086-995-0575

〒709-0736 岡山県赤磐市稗田248-1

★★★★★ 今月の正妙寺だより

ゴーゴーウエスト
大覚様は西へグヅウ
 

 信徒の皆さんは、「備前法華と安芸門徒」という言葉をご存じですか。備前は法華(日蓮宗)が盛んで多く,安芸は浄土真宗門徒が盛んで多いと言うことです。
 備前地域に日蓮宗が広まったのは、京都妙顕寺の日像聖人の弟子である大覚(だいかく)様が大きく貢献しました。
 ここで日蓮宗の系譜を見てみます。
 日蓮宗の宗祖である日蓮聖人(1222年~1282年)、その6人の直弟子の一人である日朗聖人(1261年~1320年)、その実弟で弟子でもある日像聖人(1269年~1342年)の弟子となり、京都から西へ西へと弘通(グヅウ=仏教の教えを広めること)を行い,特に岡山県では、「備前法華」と言われるくらいの日蓮宗の基礎を築きました。
 不受不施派と受施派の分派の原因ととなった豊臣秀吉の千僧供養(1595年)への出仕を拒んだ京都妙覚寺の日奥聖人(1565年~1630年)の時代は、約250年も後のことです。
 大覚様は、1297年生まれで幼名を月光麻呂(丸)といい、四歳で出家し得度して名を実玄と改め、嵯峨大覚寺門跡となりました。
 大覚寺は真言宗の寺でしたが、1313年京都で布教していた日像聖人の説法に巡り会い、法華経に帰依し、日像聖人の直弟子となり名を妙実と改めました。1333年頃から1345年頃にかけて三備地方(備前、備中、備後)で弘通し、多くの寺院を開きました。
 中でも鷲林山妙善寺は、元は真言宗福輪というお寺でしたが、日蓮宗に帰依したことに憤怒した寺主と問答し、逆に妙法の実教に帰依させて、日蓮宗のお寺として改宗創建したものです。
 1342年に京都に戻り、妙顕寺第二世貫主となり、法華経を通して祈祷を行うなど幕府や皇室との関係を深めました。
そして、1358年に起きた京都の旱魃で、天皇の勅命により雨乞いの祈願を行い、降雨をもたらしました。
 この功績により、天皇から日蓮には大菩薩号、日朗、日像には菩薩号、そして大覚には大僧正の位が与えられました。
 このような優れた成果を成し遂げている中、大覚大僧正は、1364年4月3日(太陽暦では5月13日)に68歳で遷化されました。
 大覚大僧正の後は、弟子の日実(京都妙覚寺を創建)により備前地域への布教は引き継がれたのです。
 正妙寺では、5月12日(火)午前10時から大覚大僧正会法要を営みます。皆様のご参拝をお願いいたします。


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お経シリーズ⑬
陀羅尼品第二十六 その2
  

 正妙寺だより2月号で「お焚き上げと呪文」について掲載しました。この呪文は陀羅尼品(だらにほん)にあり、法華経に説かれる教えの一つで,諸仏や菩薩が衆生を守るためにとなえる梵語の呪文です。
 
 (前号からのつづき 現代語訳は直訳です。)
薬王菩薩の呪文から 呪文は省略 三月号参照
 
「世尊。この陀羅尼の呪文は、六十二億というガンジス川の砂の数に等しい諸仏が説いている事柄です。」
「若し、この法師者(師となる僧侶)を害する者がいるなら、即ちこの諸仏を害することになるのです」。
















 時に、釈迦牟尼仏(釈迦族の聖者)は、薬王菩薩を褒め讃えて言った。「よきかな、よきかな。薬王よ、おまえはこの法師を憐れみ護るが故に、この陀羅尼を説いたのだ。諸々の衆生において、豊かな御利益を与えることが多いであろう。」















 その時に勇施菩薩は、仏に向かって申し上げた。「世尊。私もまた、法華経の教えを受持し、経の読みに精通している者を護るために陀羅尼を説きましょう。」















 


 「若し、この法師がこの陀羅尼を得たなら、若し夜叉(鬼神)、若し羅刹(食人鬼)、若し富單那(病魔)、若し吉蔗(起屍鬼)、若し鳩槃荼(インド神話の鬼神)、若し餓鬼(飢えと渇きに苦しむ亡者)らが、その欠点を探しても、そう簡単には利用できないであろう。」そして,仏の前で呪文を説いた。











 

     

(勇施菩薩の呪文省略 三月号参照) つづく 


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