足利尊氏2


<朱子学的大義名分>
 朱子学(宗学)は鎌倉中期頃から禅僧によって日本に伝えられ後醍醐天皇とその近臣達の間に強い影響を与えていた。朱子学によれば覇者を滅ぼし王者を立てることが正義とされる。覇者とは武力によって天下を支配する者のことで、王者とは徳によって天下を治める者のことをいう。また朱子学は王者(正当な支配者)に忠誠でであることを善とする。
 後醍醐天皇は朱子学の大義名分という観点から覇者である幕府を滅ぼし、正当な支配者である天皇が親政を行うべきであると考えた。後醍醐天皇の天皇親政に対する情熱は、延元元年(1336年)に製作された銅鋺(どうまり)に「当今皇帝・・・・後醍醐院を以って自ら号す」と刻まれていることからもわかる。普通、「後醍醐」という諡号(しごう)は死後にその天皇の業績にちなんで贈られるものであるが後醍醐天皇は生前に自ら「後醍醐」と諡号を定めていた。平安時代に理想の天皇親政(延喜の治)を行ったと言われている醍醐天皇にちなんで自ら諡号を定めたのである。

2000.2.7

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