国際フォーラム1998/11月号インターネット版

主な記事を紹介します。
題字

1.少し考えました

2.神戸・開口笑の旅

3.獅子座流星雨は塵不足


「少し考えました」

 今年で5回日をむかえるという、「おかやま国際貢献NG0サミット」、参加者は30数名、正直言って驚いた。PR不足なのか、関心がないのか。そんなことはないはずだが?
 今年のテーマは「福祉、バリアフリー社会をめざして」。3名の講演者により、それぞれの立場から基調講演がおこなわれた。
 スリランカの僧侶シロガマ、ヴィマラ氏は言われた。国際交流の第一段階は相手をよく知ることから始まる。国の風土、文化、貨幣価値などの違いから生じるギャップを埋めずして真の交流はあり得ない。支援する側、協カしようとする側の価値を押しつけてはいけないと。
 カンボジアのサン氏は、自国の最新の現状について、細かい数字も交え熟く語ってくれた。彼はカンボジア学生協議会の代表で、エイズ撲減や環境保全運動などをしている。政治的なことではなく直に子供たちや村人に接し生活改善に力を注いでいると言う。
 もうひとりは高校教師小林氏の、津山商業高校とネパールの学校の姉妹校縁組みの報告だった。ソフトボール用具をネパールに送り、それをきっかけに交流を始め、お互いに知り合い理解しようとしている。今年の春訪れたネパールのスライドを見ながら、ソフトボールの楽しさをネパールの子供たちに伝えたいと。
 私たちが今できることは何だろうか。物資を送ること、活動支援金を寄付することなどは身近な国際貢献になるのだろう。たしかにヴィマラ氏が言われるように、それにどれほどの理解が伴っているのかは疑問かもしれない。だが、少しわかってほしい。日本の基準で考えた協カと相手の国との間にはギャップがあり、そのギャップを理解のなさととられることは心外である。そのギャップを埋める努カをお互いが少しずつしていくことが大切なのだと思う。また、文化的なものへの支援も大切であり、それは精神的な面への協カ となるのではないだろうか。いずれにしても、すべてはお互いの思いやりの善から始まっているのだから個人と個人が理解し合えるように、国と国であっても同じであってほしいと思う。ただ、越えても良いバリアーと越えてはいけないバリアーを見極めることに品格が問われることになるのだろう。

浅野陽子


【神戸・開口笑の旅】1998・11・28

 久しぶりの神戸。「おいしいイタリア料理を食ぺよう!」と3人とも息巻いていたのに、「やっぱ、ここに来たら『明石焼き』を会ぺにゃあ」と。期待した割にはつけ汁での味はイマイチで、結局ソースと青のりで食ぺるはめに。異人館通りへも行く予定だったが、ショッピングで時間が超過してしまった。歩き疲れたあと、ケーキ屋さんで息を吹き返す。次に通りかかったのは南京町の中華街。おいしい豚まん屋さんは長蛇の列なので、しかたなく客の少ない店のを食ぺたら・・・『ヤマザキの肉まん』のほうがよっぽどましだった。ラーメンもたぺたが、これもイマイチ。わたしには、さっきからずっと気になってしかたがないお菓子があった。その名は『開口笑』。直径5〜6cmのまんまるの形の揚げドーナツである。名前の由来はわからないけれど、大きく口を開けないと食べられない大きさなので『開口笑』かなあと想像した。ところが・・・、冷たくてまずかったので、がっかりした。3人で味見してから捨てた。
 歩き回っているうちに、すっかり夜になってしまっていた。『開口笑』のショックをまだ引きずっていたが、気を取り直して神戸市役所の23階から夜景を眺めることにした。やはり都会の夜景は美しかった。12月11〜25日から始まる『神戸ルミナリエ』では、15万個の電球を使用したロマンチック街道が出来上がるという。ちょっと行く時期が早すぎて、残念。
 腕時計の針は9時を過ぎていた。その時突然、ガソリンが残り少なかったことを思い出して、お互いに青ざめた。もしスタンドが閉まっていたらホテルに泊まらないといけないかもしれない。ひとりは、「あすは用事があるので、新幹線を利用してでも帰る」という。「そうなったらどうしよう!」とパニック状態になりながらも、2人は「おなかが空いた。何か食べたい」とのたまう。そういえば、イタリア料理を食べるはずが、一度も食事らしい食事はしていなかった。2人は、ふーふー言いながら立ち食いそばを食ぺた。とても満足そうに・・・。私は食ぺる気力がなかった。
 夜の11時、私たちは運よく津山に戻っていた。『エキゾチック・神戸』の愉し過ぎた旅は幕を閉じた。「きょうのキーワードは何といっても『開口笑』よね」と3人で大笑いして別れた。
 私は、翌朝早起きして再び旅に出た。行き先は、江葉真っ盛りの京都・・・そこでもまた、笑いこける出来事がいっばいあった。


流星
獅子座流星雨は塵(ちり)不足

 11月17日(火)テレビニュースは朝から興奮状態。「今夜未明から明日の明け方にかけて33年ぶりに獅子座流星雨が見えるかもしれません。33年前の前回はアメリカで1時間に15万個の流星が見られました。獅子座の方角から雨が降るように流星が降ってくるのが見えたそうです。今回は日本が丁度観測に適する位置にあり、うまくいくと前回のような流星雨が見えそうです。北日本には寒気が南下しており、北日本と日本海側は曇りか雪、日本の南部は前線が近付いていますが、西日本と東日本は夜には星が見えるでしょう。みなさん、たくさん願い事をしてください!」
 夕方のニュースでは「レーダーの観測によると、今朝から流星の数が非常に多くなっています。ピークは明日の3時〜5時頃でしょう。美星天文台のそばでは高校生たちが観測の練習をしています。寝袋に入って空を見上げていますが、とても寒いです。」天気のポイント予報では“津山は0時までは曇り、それ以後は晴れ”
 22時、推進委員会を終わって出てくると、曇り。「0時からは晴れるじゃろう」
 仮眠を約1時間。0時過ぎに起きるとまだ曇っている。1時過ぎにはだいぶ晴れ上がった。寒いけれど、「よし」とカメラと三脚を持って出かける。自宅の回りは街路灯がけっこうある。流星のために普段よりは明かりを減らしている所が多いのだが、写真を撮るには明るすぎる。流れ星は見えない。「夜が暗いのは財産です。明るい空は環境被壊です」とは友人の天文狂の言葉だったなあ……。
 暗い空を求めて津山南部から柵原町、勝央町へ。途中で雨がパラリ、パラリ。観測に適した地点はなかなか見つからない。林業試験場にやって来たのは3時前。ここは光がほとんどない。「あ、流星だ!」もっといいのは林の中の展望台。上に立つと360°の桃望。東の方の明かりが少々じゃまになるが、まずまずの条件。
 どこに出るか分からないが、数多くの流れ星が見える。「寒いなあ」隣の女子学生が足踏みをする。展望台の床がわずかに揺れる。「何時かなあ」その父親がライ 夕一に火をつけ、時計を見る。三脚にカメラを固定し、5分間シャッターを開けっ放しにしているすぐそばの私は、そのたぴに『このバカ野郎!写真が撮れねえじゃねえか』と心の中で毒突く。「オリオンのそぱを流れた」「今度は天頂だ」「あ、明るい」「こいつぁ小さい」・・・…“雲に邪魔されながらもいくつもの流れ星を眺めるのは気持ちがいい。ただし、写真に写っているかどうかははなはだ心許ない。
 親子連れが帰り、若いカップルが2組上がってきた。1組は酒臭い。『飲酒運転なんだろうなぁ』
 4時半を廻ると東の空がわずかに白んでくる。ラマダン(断食月)の最中には夜明けの1時間半前までには飲み食いが終わり、アッザーン(お祈りの呼ぴかけ)の声がモスクから流れてきたのを思い出す。「少しでも空が明るくなり始めるともう食ぺたり飲んだりしちゃダメなんだ」
 何時になったらピークがくるのかと待っていたが、5時になると流星の数も減ってきた。時々空がパッと明るく輝くのはどこかで雷が発生しているようだ。キラッキラッと輝きながら空を渡っているのは人工衛星だろう。雲が覆っていた那岐山方面も晴れ上がってきた。身体が芯までよーく冷えた。もう帰ろう。
 テレビニュースが「ピークが数時間前にずれたようです」と言っている。天文狂が「高校生に数えさせたらタ方から朝までに96個でした。一日前にヨーロッパでピークが出たようです」と教えてくれた。
 日本中を熱中させたこの夜の主役はテンペル・タットル彗星の残した塵。予想が外れて、塵の塊が軌道の真ん中には少なかったので、雨のような流星群にはならなかったらしい。また来年、このくらい見えるといいんだが。
 それにしても日本中がこんなに大騒ぎするのも驚きだ。マスコミの情報に乗せられやすいのは今回も同じだが、流れ星を一晩中見ていられるのは日本が平和な証拠だ。流星にこんなに関心があるのは、国民の知的レペルが高いとも言える。流れ星を見ても腹は膨れないもんね。そしてみんなが夜空を見上げたことが、これからの日本にとって一番良かった事かもしれない。何しろ日頃から夜空を見上げている人はそんなに多くないから、夜空の明るさにはみんな無頓着になっている。「夜の町が明るいのは文化程度が高いこと」と素直に思っている人が思いの外多いのではなかろうか。夜の暗闇がなくなることで犯罪が減るのば歓迎するが、星が見えなくなるのはやっぱり困ったもんだ。人工衛星から撮った「夜の地球」の写真を見ると、日本列島は異様に明るい。日本海のイカ釣り漁船の集漁灯もメチャクチャ明るい。「とてつもないエネルギーを消費してるな」という気がする。
 アジアやアフリカはずっと暗い。でも暖かい。真っ黒な聞の中で焚火を囲み人が集まる。暗闇への不安と畏れ、闇の向こうへのあこがれと期待、そして闇に包まれることによる心のやすらぎ。火を囲む人々は静かに語り、あるいは激しく踊り、おのれを顧み、心の傷を癒していく。民族の歴史が語り伝えられ、人々の絆は強くなる。夜の闇がつくるそんな場が日本にもかつてあった。確かにあった。それを求めてキヤンプファイヤーを囲むのだろうか。
 夜の闇が薄れて、我々の心から何かがなくなった。よく分からないが大切なもののようだ。暗い夜空を取り戻すことで、それが戻ってきやしないだろうか。少なくとも夜空を見上げて夢を語る心のゆとりはできそうだ。“未曾有の国難”と改治家が言うこの時代を乗り切るためには“闇夜を楽しむ心持ち”が大切に思える。すれた心を闇夜に漬けて、うぶな心に戻したい。闇夜をどんどん削っていると、追い詰められた闇からとんでもないお化けが出てきそうだ。
 冬になると星がよく見えます。暖かくして、降るような星を眺めませんか。 sign


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