国際フォーラム1999/1月号インターネット版

主な記事を紹介します。

国際ふぉ〜らむ

1.第12回国際交流フェスティバル開催要項

2.現実は厳しい

3.小泉八雲の日本好きから

4.大人の自動車教習術


第12回国際交流フェスティバル開催要項

 目的:地域在住の外国人と日本人市民がそれぞれの国の料理を共に調理、試食し、
        食文化を糸口として相互に理解し合い互いに良き隣人となる。

 日時:1999年2月7日(日)午前10:00〜午後3:00

 場所:津山婦人青年の家
             津山市大谷600
             電話 0868-24-5111

 参加対象者:津山及びその周辺に在住の日本人・外国人

 定員:60人

 参加費:一人700円

 内容:
   午前 6つの班に分かれて、外国の方を講師にそれぞれの国の料理を作る。
   午後:料理の試食をしながら参加外国人の国や文化について語ってもらう。

 問合せ、参加申し込み:津山国際交流の会
              岡本 俊則 TEL&FAX 0868-21-7425

フェスティバル


現実は厳しい・・・だけど

 昨年の晩秋の事であったが、ある日突然Sと名乗る男が東京から電話をかけてきた。さて、S氏とは誰であったろう、と僕の記憶の糸をたぐってみると、そう言えばいたいた。数年前、一度だけ僕の農場を見学に来たスリランカ人青年がいた。
 あのときは、あるNGOの招聘で数ヶ月間日本で農業研修を受けていたのだった。スリランカの村の若手リーダ的存在であった彼は、故郷へ帰って村の発展につくす事が期待されていたはずである。その彼がなぜ今頃日本へ再びやって来たのか。
 彼の話はこうだった。国の治安が最近特に悪くなり、つい先日も自分の村で砲弾が爆発した。身の危険を感じた彼は、日本にいる友人を頼って逃げて来たのだ。彼の口振りではあたかも命からがら亡命してきたという感じだった。
 ところが、彼の友人というスリランカ人の話や彼の事情を知っているぼくの友人の話から判断するにはどうもそれは少々オーバーで、要するに、より良い生活を求めて、はるばる彼の唯一の親しい外国へ何とかやって来てみた、というのが実際の所らしい。親類縁者から金を借り集め友人に無理を言ってビザを取ってもらったのだろう。
 結局NGOやぼくらの期待を見事に裏切って、日本での経験や人脈を個人的な欲望の実現に使おうとしたようだ。
 現実は厳しい。ぼくは、そう痛感せずにはいられなかった。彼に対してもぼくらに対してもだ。日本でのより良い収入を求めて来た彼を待ち受けていたのは.不況と数々の外国人労働者に対する制約であったはすだ。下手をすれは不法滞在になるし、ましてや労働などそう簡単にできるはずがないのだ。甘いのである。そして、数年前彼に期待したNGOはどうであろうか。ただ村のリーダー的な青年であったというだけで政府のオーソリティーを持ち合わせていない彼に、スリランカの宮沢賢治になることを期待する事によほどの無理があったのかもしれない。
 残念ながら発展途上国において、村で農業に携わるという事は、一生貧乏から抜け出せないことを覚悟する事なのである。少しでも志のある若者ならば、S氏のように都会へそして外国へ脱出し、農業以外の仕事に就こうとするのが当たり前であろう。夢や希望は、村にはないのである。
 だが、本当にそうであろうか。そのように決めつけてしまうことにぼくは強い抵抗を感じざるを得ない。
 多くの途上国では地方から人々が都市部に流れ込んできて、そこで様々な問題を引き起こしている。スラム街が形成され治安や衛生状態が悪化し、環境問題や交通渋滞が起き、多くの大都市が病んでいる。これは、富の地方への配分が充分なされていないという行政上の欠陥が大きな原因であろうが、同時に人々に対する啓発が強く求められるだろう。
 都市の問題点や農村部の可能性について正しい情報や知識が伝えられなくてはならない。その担い手としての行政の機能が期待される。ぼくらがS氏に期侍したのもその点であったはずだ。残念ながら、それはそんなに容易な事ではない。
 今頃S氏はどうしているだろうか。しばらく滞在していた知人の家を逃げ出して姿をくらましたという連絡を受けたのは年末の頃だった。ぼくにはどうしてやる事もできないが、彼が一日も早く日本の現状を認識して無事帰国し、今度こそ村の発展に尽カしてほしいものだ。

岡本 俊則


小泉八雲の日本好きから・・・

 先日ラジオでふと耳にしたことに、八雲が日本で惹かれたものは、ちょっとした木の陰・・日本の小さな木の下の空間は、彼にとってとても幽玄な世界に思えたのでしょう。そして、夜、障子に写る着物姿の女性のシルエット、これまたとてもたおやかで優しけに彼の心をくすぐったに違いありません。確かに、昔、日本の時間がもう少しゆったり流れていた頃は、こういった風景が侘びの世界をも感じさせ、外国の人にはとてもミステリアスなものに映ったことだと思います。しかし、障子がサッシ窓に替わり、カーテンがつき、外から内部の様子がほとんど見えなくなった今、日本の女性はお行儀が悪くなったと嘆くお年寄りもいるということ。うん、言いたいことはわかるな、と思いながら、そーんな人目ばかリ気にしてどうする!と少し反発を感じたリもして・・・でも、他人の目を意識すると自然に背筋が伸びて行動もシャキシャキとしてくるように思うから不思議。そういう人ってある種の美しさを感じますね。心を磨くのはもちろんだけど、外見も磨く。昨年日本に来たクリントンさんはアップで見るとさすがに年は取っているなーと思いましたが、とってもスマート、発言もスマート(疑惑抜きで考える)大国のトップだけのことはある!とは、私見ですがしょうがない。
 ともかく昔の日本人のように忍耐一番とは、今なかなか言えないし、できないけど、外見内面どちらも充実した人間になるには、相当の努カがいりそうです。この世紀末の日本にラフカディオ・ハーンさんがやって来ていたら、果たして、日本を好きになっていたでしょうか。

MIYUKI



大人の自動車教習術

 今、私は自動車免許に挑戦中です。年寄りの手習いです。この年になってから遅すぎる挑戦です。会社の女の子に話したら、あんたには無理だと言われた。年配のおぱさんに話したら、教習中は食事も喉を通らん地獄でえ〜、今、あんたそうやろ〜、と言う。教習所では昔の学生時代に再び戻った気分になる。シャキンとする。さて、どんな世界が開かれるのだろう。昔のようにはいかんだろうけど・・・。
 運転は頭ではなく体で覚えるものだと言う。そうなると運動神経が優れた若者の方が有利ということになる。そこで運動神経が鈍くなっている年配者はそれだけ体で覚える間が長くなり、それだけ金もかかることになる。第一の私には昔の若さがないし、今の体の反射機能はどうだろう。昔の若い頃のままの反射神経が・・・長年のぐうたら生活で鈍くなっているかも・・・心配だ。
 先日の技能敦習の時、先生との会話。「ハイ・・そこを左に回って・・次にそこの12地点で止まって・・ハイここで・・・」「ワァ〜」ブレーキとアクセルを間違えた。技能教習は今5回目、残り7回ある。
 思うに、私は体の学習能カとはその人の精神の集中カだと思う。若い人は人生経験がないから教習中に先生とのやりとりで心を乱してしまう。それだけ体の学習が遅れる。その点オレは年を取っているだけ心を乱さず集中して生きれる・・・とうぬぼれを持ってやっている。そうでも思ってやらんことにはやりきれん。学科教習中、隣の若い女の子らの技能教習の話が耳に入ってきた。先生と結構うまく教習をやっている、との感じを受ける。教習中、コースの中で時々若い女の子の車とすれ違うけれど先生と笑いながら運転しているではないか!その点私はどうか。しょっちゅう先生から注意されている。車の中の雰囲気も固い緊張感が漂っている。なるほど会社の女の子はこのことをいっていたのかなあ。ため息をつく。
 目先の状態は最悪だが、パニックになることなく痛みは痛みのまま流して、教習のポイントに心を集中させている私をみる。さすがオレだ、と自分で自分を慰めているけれど、やっぱり若い人がうらやましい。
 年配者の集中力(冷静さ)が若者の若さに対抗できるのか・・・?今は未知数のままだが、今手元にある“冷静さ”だけを武器にガンバッテいます。

苅田恭典

教習


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