国際ふぉ〜らむ |
みなさんアフリカに来てください!
津山で有意義な日々を過ごしたアフリカ青年26名は、広島・京都の見学旅行を終え、12月7日(火)に関西国際空港(関空)からそれぞれの国に帰っていきました。
我が家にルカヤがやってきた
(編集中しばらくお待ち下さい)
アフリカの衣装は鮮やかです |
アフリカ青年達との出会い
はじめに断っておくが、以下の文章において私は人種差別的な感情を持っているわけでもないしそれについて述べているわけでもない。
青年達に出会ったとき「うわー、やっぱり黒いな」とあらためて思った。日本、それも津山の様な田舎にいるとめったに黒人に出会うことが無い。国際化が進んで、いわゆる在日の外国人以外にも出会う機会は多くなったが、黒人それもある程度多数の人数を目にすることはまれである。そこで出てきたのが冒頭の感想である。
青年達の国籍はさまざまで、黒人ばかりではないがやはり黒人には違和感を覚えるのは仕方が無い。
10年ほど前、僕はアフリカを旅行していた。そしてある国で僕は市内バスに乗った。その天井はやけに高かった。たぶん小柄な日本人ではバスの天井にある手すりにつかまることはできないに違いない。 今回のアフリカ青年達も大柄な人が多かった。いや多かったというよりそれが彼らの平均的なものなのだろう。 国や部族によって全く違うのを無視して論じていることをお許し願いたい。しかし総じて日本人に比べて大柄であるといってもいいのではないだろうか。 アジア特に東南アジアでは当然ながら背丈も肌の色も日本人と大差ない人々に出会うことができる。 それに引き換えアフリカの人々はどうだろう。 もし世界がこれほど近くなければ、それはやはり異質なものあるいは恐ろしいものとして写るに違いない。 僕がアフリカを旅したとき、ずっと感じたのはこのことだった。アフリカの中にいると、自分はちっぽけで色も違い、絶えず違和感・緊張感を持たざるを得なかった。勿論O氏の様に長く暮らせばそんな事は慣れてしまうのだろうが、短期の旅行者には無理だった。 それはさて置き、アフリカ青年達と語っているとアフリカの雄大さが思い浮かんでくる。ほんとにちょっとだけ旅した僕でさえ、惹かれてしまう何かがある。政治が必ずしも安定せず、砂漠化や各種の病気などさまざまな問題があるが、あの黒い大陸には底知れない魅力がある。かつて欧州列強が植民地にしたため無意味な国境線が引かれているが、彼らのパワーを結集したらすごいエネルギーになりそうな気がする。陽気なアフリカ音楽とともに次のミレニアムはぜひ彼らに大きくはばたいてほしい。 |
上原 愛一
トルコの経済成長
バックナンバー
(1998/8月号) (1998/9月号) (1998/10月号) (1998/11月号) (1998/12月号)
(1999/1月号) (1999/2月号) (1999/3月号) (1999/4月号) (1999/5月号) (1999/6月号)
(1999/7月号) (1999/8月号) (1999/9月号) (1999/10月号) (1999/11月号)